これは、ずっとずっとずっと、ずーっと、昔の話。
あるところに、貴族がおりました。
貴族は人民を慈しみ、憐れみ、多くの人々を愛し、外に威を以って賊を下しました。
――あぁ、けれど、惜しきかな。
彼はある時、戦いに敗れて死んでしまいました。
不幸にも、後継者であった嫡男と一緒に。
――――残された多くの一門は、争い始めます。そう、どこにでもある、栄華盛衰の一頁。
唐突な指導者と後継者の死が産んだ血みどろの内戦の果て。
――彼らはただ二つだけ、家名を残すことに相成ったのです。
もちろん、とっくの昔に嘗てのような栄華など望めないほど小さく。
けれど、残滓の存在は、尽きることない火種を燻ぶらせたまま、静かにそこにあったのです。
天空には厚く立ち込めた雲が立ち込めていた。
曇天を差す微かな西日は、静かに佇む古城を照らしだす。
その城の上層部、西日に照らされて見上げる民衆を見下ろして、男は静かに立っている。
黒を基調として、装飾の少ない燕尾服を着込み、まるで、この地を治めることを当然のように伸びた背は、彼から自信を感じさせる。
頭を抱え、下手をすれば傷を負いかねないほど強く手に力をいれて、オレンジがかった白髪交じりの髪をかき上げる。こらえ切れない程の憤懣を胡乱な瞳に残し。
「なぜだ――なぜ我がこのような目に合わねばならん」
――男はそう呟いた。
――眼下にあるのはゴミだ。
――歩くゴミ、気付けば生えるゴミだ。
――腹立たしい。何をそうも見るというのだ。
――恥ずかしい。愚かしい。憎たらしい。
――どのゴミの目も、一様にして輝いている。
「ここは、我が一族の屈辱の地なるぞ――――」
轟――と、不自然になった音が、激情に乗せられて室内に反響し、古ぼけた絵画を、貴重なりし文化財を破砕する。
――けれど、そんなものに意味はないのだ。
失われた文化になど意味はなく。汚された栄華は消し去った。
ただ、これより先にあるは、嘗ての栄光のみ。
「――おのれ、全てはあの小娘のせいか。何もできぬ何もなせぬ、
ただゴミと戯れるだけの小娘が。我が五十年の悲願を邪魔しようとは」
苛立ちを隠さず、男は白いグローブを嵌め直して、握りしめる。
「まぁ――良い。ローレットなる者に頼る愚かな小娘など、もろともに屠ればよい。
オランジュベネを興し、ブラウベルクは滅ぼす――後戻りなどなせるはずがない」
厳格さを見え隠れさせる落ち窪んだ双眸が、ぎらりと光る。
「忌々しき失墜の地よ――あぁ、主よ。我は、見事この地に我が家を築きましょう」
いるかどうかも分からぬ主に捧げ、男は静かに動き出した。
―――――幻想『レガド・イルシオン』
貴族達によって統治され、混沌世界における中央部に位置し、温暖な高原部を擁する大国である。
そして――救世主たるイレギュラーズが所属するローレットの本拠を都メフ・メフィートに置く国だ。
かつて、サーカス団の策謀がイレギュラーズの手で最小限に防がれ、砂蠍の蠢動と鉄帝国の南征がほぼ同時期に起こったことは、記憶に新しい。
そして、その戦争のど真ん中、幻想の南部にて小貴族が兵を挙げ、イレギュラーズの活躍により鎮圧された。
生暖かく、冷たさを伴った風が窓辺から入ってくる。
「――そういうわけで、今、我らのブラウベルク領及び旧オランジュベネ領にて、暴動が
いくつも起きております。暴動の伝播は我々の管轄区を越え、
幾つかは他の所まで行っているとのこと」
「そうですか……引き続き、近隣諸侯の皆様には警戒を厳にして
いただくことにいたしましょうか。こちらで検問の徹底をお願いしても、
流石に行くなと言えないですし」
少女――テレーゼ・フォン・ブラウベルク(p3n000028)は、青い髪を揺らして小さく呟いた。
細められた双眸は、不思議と安堵と落ち着きに満ちている。
「ローレットの皆様に連絡を。自分で言うのもあれですが、
落ちぶれた小貴族同士の争いとはいえ、魔種相手です。私達じゃ荷が重いでしょうから」
「これがオランジュベネの仕業である確証はありますか?」
「伯父は確実に攻めてきます。今までもさんざんやってきてくれましたし――何より、
オランジュベネとブラウベルクはそういうモノ、らしいですから」
そう言って笑うテレーゼの表情は、少しばかり疲れが見えた。
「今度こそ逃がさない。いえ――逃げる場所なんて与えてなるものですか。
あれは、私の領民に傷を負わせて、私の友人を傷つけた。
……そのために、また友人を傷つけてしまうかもしれないのは、かなり歯痒いですけれど」
ゆるぎない覚悟が籠った双眸で言ったテレーゼが静かに口を閉ざす。
※不穏な気配が幻想で蠢き始めたようです……