「――白、ですわね」
「はぁ、白……でございますか」
『拘束の聖女』の異名を持つアネモネ・バードケージ――彼女の異端審問に掛かれば、大半の案件は黒くなる。
白でも……とまでは言わないが、グレーでも大体黒。ネメシスに査問を行う聖職は数居るが、その中でも取り分け厳しい事は言うまでもない。
そんな彼女の吐き出した『白』の一言に衛兵が少し間の抜けた返答をしてしまったのは仕方のない事だったのかも知れない。
彼が聖女に引き合わせたのは皮肉にも全身を黒衣で覆った占い師の女だった。月光を思わせる美貌の彼女は何処までも妖しく、美しい。見た目で判断するのは愚かだが、確かに魔性と呼べばそうも見えるのだから、その返答は実に意外だったのだ。
ローレットと探偵サントノーレの仕掛けは早かった。
ローレットとの共同作業で月光事件の一つの解決に当たった彼は、その途上で一つの情報を得るに到ったのだ。
事件のそこかしこに姿を見せる『黒衣の占い師』。確証こそないとは言え、これが何らか事件に関与していると考えた彼は、天義上層部へ覚えのいいローレットを『てこ』にフォン・ルーベルグ近辺の『容疑者』を調査するという大胆な手に打って出たのだ。
これが奏功し、現在この瞬間がある。
黒衣の女――ベアトリーチェ・ラ・レーテは訝しい顔をした衛兵にニコリと微笑む。
少し赤面しわざとらしい咳払いをした彼に言葉を続けたのはアネモネであった。
「――もし、この近郊にその妖しき悪があったとして。
もし、この彼女が諸悪の根源であったとして。そうならば、それは貴方の手に負えるものではないのではありませんか?
不本意ですが『拘束』の名を頂くこの私を前に、こうも余裕の素振りでいられる道理はないのではなくて?」
「な、成る程……」
衛兵はアネモネの言葉に合点した。
確かにそれはそうだ。『普通に考えて悪党は連行されないし、アネモネを前に余裕ではいられない』。
『普通に考えるならば、この状況を避けるし、そもそも黙って連行を受けるような事をしないだろう』。
『普通に考えるならば』。
「……しかし、陛下とはじめとした上層の御指示は絶対です。
貴方はこれからも忠勤に励み、怪しき者を見逃しませんよう」
「はっ!」
アネモネの命を受けた衛兵は敬礼して聖堂を辞する。
その背中を見送ってたっぷり三十秒――否さ、一分。
静寂を好むアネモネは自身の聖堂に基本的に他の者を置かない。
「これで、宜しくて?」
「ええ。予想通りと言えば予想通り、予想外と言えば予想外でしたけれど」
声色からガラリと変わったアネモネの言葉にベアトリーチェが薄く笑った。
「では、ここからを『本当の査問』としましょうか」
「何なりと」
「まず最初に、フォン・ルーベルグの一連の事件の根源は、貴女かしら?」
「ええ。そうなりますわね。演目『クレール・ドゥ・リュヌ』、月光劇場は満足頂けておりまして?」
イエスともノーとも言わずにアネモネは続ける。
「貴女がフォン・ルーベルグに居たのは」
「そちらにご挨拶に伺おうかと思いまして――いや、冗談ですわ。
座長たるもの、俯瞰して状況を見回すのは重要なお話です。『何かが足りない』ならば足す。
『演者が裏切る』ならば、適切に場を修正する――何れも必要な工程です」
「……では、みすみすと連行なんてされたのは」
「ふふ、それは――言わない方が宜しいのではなくて?」
アネモネの第三の問いにだけ、ベアトリーチェは質問を以って答えとした。
そう『普通に考えれば』この状況は適切ではないのだ。
闇に潜む諸悪の根源が敢えて表に引きずり出される等、馬鹿げている。
だが、『普通に考えないならば』どうか。
連行を受け、周囲を兵に囲まれ、『拘束の聖女』を目の前にしても『そんなもの最初から問題にならない存在ならばどうか』。
昏い三日月と共に、嗜虐的な愉しみのままだけにこの場を訪れる女ならばどうだったのか――
「しかし――予想外ではあるのです。
どうも、この国にもこの国らしくなく鼻の利く方が居るようで。
それはかのローレットであり、それを利用した探偵さんなのでしょうが。
愉快ですが、多少鬱陶しいのも事実です。一幕はこの程度にして、次を進める時期なのかも知れませんわね」
「貴女ね、私が誰だか御存知ではないの?」
アネモネは肩を竦めた。
長らく異端審問等をしてはいるが、自身を前にこれ程あっけらかんとした者も居なかった。
「知っておりますとも。ですが、この場が証明しているではありませんか。
貴方は関与しないまでも劇の続きを望んでいる――この先を眺めて、楽しみたいと考えている」
返事をしないアネモネにベアトリーチェは微笑んだ。
「勿論、その期待は裏切りませんとも」
※ローレットと探偵サントノーレの仕掛けで『月光事件の容疑者』が調査されました……