<進撃のDeep Blue I>
ああ、厭だ。本当に厭だ――
静かなアタシの世界は招かれざる客達のお陰ですっかり台無しになっていた。
信じられない事に――そして信じなければいけない事に――特異運命座標(イレギュラーズ)を主力に頼んだ今回の『海洋王国大号令』は、このアタシの海、閉じた世界――即ち『絶望の青』を後半まで蝕む快進撃を見せているのだ。
「……本当に、鬱陶しい……!」
思わず爪を噛み砕いた事を自覚し、余計に暗鬱とした気分になる。最前線に赴いて切っただ張っただ到底アタシの趣味ではない。例えばそう――バルナバス辺りなら大喜びでそういう事をするのだろうが、元よりアタシの望みは『完全なる停滞と現状維持そのもの』なのだ。お肌にも美容にも悪いし、戦いなんてものはしないに限る。まぁ、もっとも? あの程度の闖入者達とやり合った所で万が一にも負ける心算等無いのだが。
それにしても――実際の所、どうするか、である。
より航海の困難を増す後半の海は確かに生半可に攻略出来るものではない。
この海一帯を支配する『廃滅』もそろそろ大きく効いてくる所だろう。
この場所に挑んだ勇者――無謀にして不愉快なる挑戦者――達は次々と斃れ、残酷に冷酷に死ぬだろう。その有様を目の当たりにして恐慌しない者は無い。遠からず大号令の士気は崩壊し、進撃の足は鈍りに鈍る。結局は『絶望の青』は絶望の壁のままそこに立ち聳え、此度の挑戦も虚しい水泡に帰す可能性は高かろう。
だが、しかし。
(もし、そうならなかったら)
挑戦側の弱味は明確に時限の定められたリミットだ。それは間違いない。
しかしアタシ――冠位嫉妬たるアルバニアの弱味もそれと表裏一体だ。
『リミットより先にこの海を超えられてしまったなら、それは絶対的にして絶望的なまでの失敗だ』。
永遠に変わらない澱に海洋を、人間達を閉じ込めた心算だった。
何時まで経っても変わらない、何をどうしても報われない――自分と同じにしてやりたかった。
そしてその望みはこれまで――幾百年もそれ以上も、完全に叶ってきた筈だった。
だが、もしこの海が破られたなら。座して待って――リミットの勝負に負けたなら。
……この海に挑んだ大半はアタシが現れなければ唯無残に死ぬだけだ。しかし、このアタシも死にたくなる位の激情で、もう二度と元には戻らない澱に、その先に到った彼等に『嫉妬』するより他はなくなるだろう。
「……それは、余りに御免だわ」
自覚無く身震いしてその想像を追い払ったアタシは暗い、暗い海を泳ぐ。
深く、深く。人智が到底到達出来ない位に水を潜って、潜って――やがて『それ』の前に辿り着いた。
正真正銘の切り札だ。妹(ベアトリーチェ)の事もあるし、保険はかけておくに限る――
「起きてるみたいね?」
――ああ、貴様か。何だ、どうした。何百年振りに――
ゴボゴボと零れる水泡は大きい。
音としてそれが自然に伝わる事は有り得ないが、不思議と理解は明瞭だ。
目の前に居る――居るというのは余りに違和感がある『それ』にアタシは言う。
「もしかしたら出番があるかも知れないわ」
――何だ、冠位魔種。貴様は人間(ひと)如きも抑えられないか――
「馬鹿を言わないでよ」
せせら笑う『それ』に多少の苛立ちを感じたのは事実だ。
全く不愉快極まる。後半の海への進撃を許した現実は、否定しようにも難しい。
「アンタにとっても他人事じゃないでしょう。
一体誰がこの何百年も、それ以上も――『アンタの家』を静かに、清浄に保ってあげたと思ってるの」
――恩着せがましい。貴様等とて我が海への闖入者であろうが。
今一度、貴様の方と実力で決着をつけても構わぬのだぞ?
「散々やって、それは無駄だと分かったでしょ。お互いに。
……で、言葉遊びはいいのよ。問題はこのままだとここも煩くなるかも知れないって方。
それはそれは――海の神威たる貴方には許せない事でしょうよ」
――然り。だが、廃滅とやらは殊の外効く。我とてかつての力は出し得ぬぞ?
「アタシの廃滅に何百年所じゃなく罹患してて、くたばる所か暴れる余力がある時点で呆れるしかないわよ」
生命としての在り様の余りの違いに呆れた声が出た。
この世界広しと言えども冠位魔種にそんな事を思わせる存在が多く在るとは思えない。
即ち、『これ』は正真正銘のどうしようもない規格外だ。
「――いいわね。最悪の最悪、その時は暴れなさい。力の限りに。
貴方とアタシ、『絶望の青の領袖』が『本気』を出して、ハッキリ示すの。
二度とこの海に、誰一人立ち入らないように。実力差を教えてあげなさい。
アタシ達の『永遠』を汚す者がどれだけ愚かかか知らしめるのよ!」
……全く、本当に憂鬱になる。
もういいわ、どうしてもって言うなら来なさいよ、イレギュラーズ。
この際、ハッキリ教えてあげるから。やきもちを妬く乙女がどれ程怖いものかって!
※何かが動き始める予感がします……