#author("2020-01-20T18:14:12+09:00","","")
*TOPログ [#q2e553e7]
#author("2020-10-31T17:21:25+09:00","","")

**磔の日 [#sc875054]
 国家の未来と威信を賭けたグレイス・ヌレ海戦が終結し、戦後交渉が行われている、まさにその頃。
 蒸気と錆色に覆われた鋼の街スチールグラードでは『モリブデン事件』と呼ばれる異変が続いていた。
 祭壇を背にして、厳めしい表情で部下を睨むのは大司教ヴァルフォロメイ。弱者救済を掲げるクラースナヤ・ズヴェズダーという教派の宗教指導者である。ゼシュテルは風土柄余り宗教的に敬虔な人間の多い場所では無いが、大聖堂――と呼ぶには些か質素な建物――には、今日も十数名ほどの聖職者達が集っていた。いずれもクラースナヤ・ズウェズターを担う幹部者達である。
「今日の議題は主に二つ。一つ目は『例の計画』に対する今後の我々の行動の周知、徹底だ」
 この日の議題と参集の号令は大司教ヴァルフォロメイによって発せられていた。
 内容の一はヴァルフォロメイの口にした現状への確認である。
 スチールグラードのスラムでは、軍主導の都市開発計画が進行していた。
 鉄帝国において『軍主導』の枕詞がつく計画は往々にして『荒っぽく雑』という意味も帯びるのだが、今回の場合、計画自体は全く的外れというものではない。鉄帝国のスラム問題は年々深刻化を辿る一途であり、成り行きに任せた自然治癒を期待するに時は既に遅すぎた。幾分かの荒療治は必要悪であり、政府がそれを望むのは必然であった事までには疑いの余地は無い。開発は新たな雇用や経済効果を生み、必要な区画整理は魔窟と化し、多数の組織犯罪の温床ともなったスラム及び周辺地域の治安を大幅に改善する事だろう。それ自体にはクラースナヤ・ズヴェズダーとて賛同しているのだ。故に、当然ながら一連の計画にまつわる問題は軍の計画という枕詞が意味する『荒っぽく雑』な部分に集約される。
 一部による強引な地上げは人道派でなくても目を覆いたくなるものであり、更に頻発する『人さらい』事件が、事態のきな臭さに拍車をかけていた。
 そうした状況を大司教ヴァルフォロメイは、最早待ったなしと見る。
 彼は皇帝の親征帰還と共に直訴を行う事に決めていた。
「簡単な話ではないが、陛下自身はどちらかといえば人道的な考えを持つ人物だ。
 政治的に難しい話も孕むが、何らかの効果はあると見る。そしてそれを粘り強く達成する心算でもある。
 これは今までの確認であり、この後の決定の通告である。今日の主な問題はもう一つの方――」
 ヴァルフォロメイの眼力はそこまで言った所で、何とも複雑な顔をした一人の女を射抜いていた。
「――お前だ、アナスタシア!」
 一喝はままならぬ酷い苛立ちを含んでいた。
 気風の良い豪快なこの老人が、これほどの表情を見せる事は珍しい。
「今後は独断での行動は控えろ!」
 クラースナヤ・ズヴェズダーは、民心を救う為の宗教集団である。但し、彼等は常に、多くの場合において一枚岩では無い。彼等を構成する主な勢力は、現状の国家を内部から改善しようとする穏健な『帝政派』と、帝国を打倒することを目標とする過激な『革命派』とに分かれる。ヴァルフォロメイは帝政派を掲げており、対するアナスタシアはこの革命派の急先鋒なのであった。
 組織のトップである大司教がヴァルフォロメイである以上、現状の主導権は『帝政派』にあり、今槍玉に上げられた『革命派』のアナスタシアは今回の計画に対する組織スタンスにおいてもやや議論的劣勢を強いられているのは間違いなかったのだが……
 怒声を浴びたアナスタシアは、しかし眉をつり上げる。
「その温い対応が、ここまでの事態を引き起こしたと、まだ分からないのか!」
「『温くない対応』とやらで得られるものは何か。お前の自己満足か? 我々の壊滅か?
 世界最強とも呼ばれるゼシュテルの軍部と正面から事を構えて――
 戦火と瓦礫、怨嗟の声以外。我々が民にもたらせるものは何だ!?」
「もし、皇帝以下現政府が『我々の声を汲み、良いように計らってくれる連中ならば』にべもない武力行使等するまいよ。翻ってもし彼等がそれを選ぶと言うならば、温い話し合いや直訴等、理念に対する敗北主義だ! 事態に対するおためごかしにもなりはしない!」
「まあまて、両名……」
 襟首を掴まんとする程の勢いで、大股に詰め寄るアナスタシア。
 応戦さえ辞さない構えのヴァルフォロメイ制したのは、見事な禿頭の男――ダニイール司教であった。
「アナスタシアの述べるにも確かに一理ある。
 しかし、クラースナヤ・ズヴェズダーが組織である以上、大司教の言葉に理があるのも確かであろう」
「……チッ……」
 憮然としたアナスタシアは露骨なまでに舌を打つ。
「ここは一つ、大司教の直訴の後に様子を伺うのが良いかと思うのだがどうか――」
「――話にならんな。結局それは帝政派の好きな事態の先送りに過ぎまいよ!」
 ダニイールの言葉は両者をとりなしたが、帝政派である彼の言がアナスタシアのお気に召す筈も無い。
 彼女はかねてより、スラムの住人に被害を出しているモリブデン事件への積極的な介入を主張していた。
『元より現時点まで耐えている事それそのものが酷く不本意な妥協と譲歩の結末なのである』。
 ヴァルフォロメイが国と交渉を決めた以上、クラースナヤ・ズヴェズダーが動き難いのまでは理解するが、惰弱な帝政派が主張する「過激な行動は自重してほしい」等という主張は既に譲歩している革命派――アナスタシアにとってみれば、手足を縛った上で残された精神の自由――羽をもぐかのような要求であり、到底受け入れ難いものだった。
「求めるばかりで譲る心算はまるでないという訳か。まるで本家本元、帝国のようだな」
 薄ら笑いで吐き捨てたアナスタシアにヴァルフォロメイの顔が紅潮した。
 両者の主張は分かり切ったまでの平行線であり、繰り返された不毛である。

 ――変化が生じたのは、そんな時だった。

「貴様、どういう事だ! アナスタシア!!!」
 全く別角度――礼拝堂の入り口より投げかけられた声は単純な怒りだけでは語るに足りない憎しみにも似た色を含んでいた。
 一同がそちらに目をやれば、そこには肩で息をする男が立っていた。
「フェリクス副輔祭……? なっ!?」
 何事か激発するフェリクスと共に現れたのは、実にうさんくさい身なりの男であった。
 顔に包帯を巻いた彼はラサの商人を名乗るハイエナという男だった。
 怪し過ぎる見た目通りにこんな男が福音をもたらす理由は何もない。
「貴様、この聖堂に何のようだ!」
「そう睨むな。『赤き嵐』のアナスタシアさんよ」
 聞きたくない名前が礼拝堂に響いた。
 殊更にわざとらしく伝えられたその言葉の意味を考えぬ程アナスタシアは愚鈍では無い。
 フェリクスの激昂という周辺状況を併せれば、この先の展開等、余りに簡単に読めるではないか――
「此方は善意の徒。酔い潰れていらしたフェリクス様を、お連れしたまでのこと」
「……っ……!」
「第一、俺の嘘吐き具合何て、聖女様に比べれば冗談みたいなもんだろうよ?」
 招かれざる客の『臭い』を知り、吠えたアナスタシアに皮肉げな言葉を返すと、ハイエナは踵を返す。
 泥酔は本当なのだろう。千鳥足のフェリクスは、実に覚束ない足取りで礼拝堂の中央に歩み出る。
 支えようとした助祭の腕を払い、彼はアナスタシアへ告発の指先を突きつけた。
「赤き嵐……なぜ否定しなかった!」
「……」
「否定する材料を持たなかったからだな? 違うか? 違うなら違うと言え!」
「……………」
「神に誓い、信仰に誓い、民に誓え。己のこれまでの救済の全ての誓って否定しろ。してみせろ!」
 唇を噛んだアナスタシアは答える術を持たなかった。あのショッケンと共に『ブラックハンズ』――即ち鉄帝国の暗部を担う特殊部隊に属した事は彼女にとっての消せない罪、枷であり、記憶であった。
「――俺の故郷を焼き、奪い、家族を殺したのは貴様だったんだな!」
 アナスタシアは目を見開き、フェリクスを強く睨みつけた。それは殆ど咄嗟の行動で、彼女に残された殆ど唯一の抵抗――最早虚勢にも等しいやせ我慢のようであったかも知れない。
「ああ! やっぱり否定はしないよなあ!」
「待て! 話は我々が聞く。せめてこの場は改めよ――!」
 叫ぶフェリクスを落ち着かせようとダニイールが駆け寄るが、彼の告発は止まらなかった。
 フェリクスは抱えていた紙束をまき散らし、ゲラゲラと大声で笑い出す。
「見ろよ! あれも、これも、それも――全部そう! こいつは真っ黒だ!
 俺達の嫌った、俺達の憎んだ、あのブラックハンズ(黒き御手)そのものだ。
 傑作だ。これ以上の傑作があるか!? 罪も知らないような顔をして。
 まるで正義の使徒のような顔をして――右往左往する俺達を嘲り笑って楽しかったか!?
 案外、こちらの動きは本当の仲間――例えばあのショッケンに筒抜けなのかもな!?」
 ぶちまけられた資料に記されているのはかつてアナスタシアが軍に居たこと。
 軍が過去に村の略奪に関わっていた事実。その部隊にアナスタシアがいた事実。
『本来ならば絶対に表に出る筈も無い、正真正銘の極秘資料であった』。
「俺はアンタを尊敬してた!
 俺はアンタを信じてた!
 アンタこそこの国を救うんだと!
 それをアンタは! アンタは!!! 騙しやがって! 騙しやがって!
 俺を、クラースナヤ・ズヴェズダーを、皆を――瞞しやがって!!!」
 フェリクスの乱心に一同が息を呑む。
 フェリクスが狂っただけかも知れない、そう思う者も居た。
 アナスタシアが裏切り者かも知れない不安、恐怖、疑心がもたげたのも確かだ。
『同時にそれが本当だとするならば聖女然とした彼女に対する憤怒も消して消えるものではない』。
 アナスタシアへの信頼は確かにある。
 しかしフェリクスの告発の精密さが信じたくない真実を告げているのもまた確か。
 それより何より、誰よりもアナスタシアを尊敬していたフェリクスの言葉だからこそ余計に重い。
「傑作だ! これ以上の傑作があるか――!」
 ざわめく礼拝堂にフェリクスの哄笑が響く中、磔になった聖女は一人姿を消していた。

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''※何かが起ころうとしている予感がします……''


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