商都サリュー。混乱の多い幻想で最も安定していると呼ばれたこの街は、今や最も安定しながらも、最も混乱を望む場所に成り下がっている。
「して、首尾はどうなんだい。きっと良い報せを聞かせて貰えるのだろうね?」
飄々と言うクリスチアン・バダンデールこそ、サリューの『王』。圧倒的な財力と確かな政治的基盤、人望と才覚を有しながら『まるで人が変わってしまった』彼は、まさにこの街の抱く病巣そのものである。性急さを知らず、稚拙さを嫌い、優雅に華麗に――そして実直に困った事には勤勉に。『魔種』と呼ばれる存在の多くが抱く欲望(げんざい)に身を灼きながら、派手な事件を起こすのとは対照的に彼の遊戯(ゲイム)は『熱のない熱情』を現すかのように静かであった。
「戯けが。わしに言葉遊びを弄するでないわ」
前髪を軽く弄るクリスチアンを一蹴したのは彼の視線の先に居る梅泉である。
クリスチアンの『使い走り』で梅泉がかの盗賊王の元を訪れたのは暫く前の出来事である。
「結論から言えば主次第といった所か」
「ほう?」
「しかし、存外に慎重な男よ。彼奴め、微塵も隙も無い」
顎で結果を問うクリスチアンにこそ『問答は無意味』と考えたのか梅泉は不親切で一方的な報告を始めた。
「首でも刎ねてやろうかと思ったが、なかなかどうして――愉快な輩よ」
「……君ねぇ」
雇い主が雇い主ならばメッセンジャーも不良に違いなかった。梅泉の眼鏡に叶ったキング・スコルピオは問題なく健在で、クリスチアンの伝言が一応は果たされたのは――果たして、幸か不幸か。
「まぁ、諸手を上げて飛びついてくるような男じゃないのは知っている。
だが、どの道彼も手詰まりだ。やがて、此方の話に乗るさ」
「自信家め。傲岸不遜にして身勝手――主も随分と変わったな?」
「出会った頃よりはね。目的が違えば手段も思考も変わるものだ。
『君と出会った時、私はこのサリューを維持し、発展する事を望んでいた』。
一方で、今の私は」
「理由も何もなく、唯試してみたいのじゃろう?
その手で、その力で、どれだけの混乱をばら撒けるか――世界をどれだけ破壊出来るか。
酔狂よな。黙っていても面白おかしく生きられように」
「は、心にも無い事を言うなよ。
首までを腐肉に浸けたそんな怠惰に意味はない。
この生き方はむしろ君に近いだろう?
――だから私は理解しているんだ。
皮肉屋の君が今、案外気分良く仕事をしている事もね」
クリスチアンの断定に梅泉は呵々大笑する。
「全くじゃ。主がそうでなければ、素っ首戴いてとうの昔に辞去しておる。
払いのいい雇い主のお陰で、食うに困る事もない故な」
「良く言うよ。困ったら辻斬りの一つでもしてみせるんだろうに、君は」
笑えない冗談をかわす二人は慣れた調子で殺気をかわす。一見すれば愉快極まる歓談の様子だが、何時殺し合いになってもおかしくないのはここも同じ。混ぜるな危険とはこの事だ。
「仕事は果たした。次は主の出番になろうな。
幸いに主は商人じゃ。それもとびきり悪辣な――その良く回る舌を精々こき使うが良い」
ソファにどっかと腰を下ろした梅泉は大した興味もなさそうに皮肉を投げた。
「そうとも。私は商人だから――盗賊如きに決して遅れはとるまいよ。
まずはそうだな、『手付け』だな。功利主義者は判り易い。
どの道、彼等にはもっと強くなって貰わねば困る。
彼等は駒になる心算は無かろうが、それも含めたコン・ゲームさ。
ご苦労だったね、バイセン。君への『報酬』は用意するとして――引き続き付き合ってくれたまえよ」
酷薄な笑みを浮かべたクリスチアンはゆっくりと続けた。
「何、本編は退屈なゲイムかも知れないがね。
世が乱れる程に戦いと強敵(きみののぞみ)も果たされる。
――十分に報いられるだろうさ。君も、君のその刀にもね!」
退屈。退屈。退屈。退屈。
もっと、もっと、もっと――
あのサーカス等話にならない位の混乱を。世界の名を冠するような混沌を。
誰しもが驚愕し、忘我し、泣き叫ぶ――最高の恐怖劇(グラン・ギニョール)を。
誰もが呆れ果て、諦念し、笑う『しかない』――究極の喜劇(トゥラジコメディー)を。
最高の筋書き(ドラマ)には最高の役者(キャスト)が不可欠だ。
心してかからねばならぬ。指揮者(タクト)の無様等誰が望もう?
「ああ、愉しい。人生がこんなに愉快なのは――本当に何時ぶりだろうね?」
彼は堅実に生きてきた。
誰もに慕われ、誰もに施し、可能な限りで多くを救ってきた。
己の才覚全てを『維持と発展』に向けていた天才が裏返れば、その時は――