聖教国ネメシスを揺るがした大事件は人類側の勝利を以って終焉した。
ネメシスに伝わる『暗黒の御伽噺』の主役を討ち果たした事実は鮮烈過ぎる。
まさに傷みに傷んだ国を沸かせる最高のニュースだった。
とはいえ、『冠位強欲』がこの国に残した爪痕は小さなものではない。
まさに戦いに、対応に、怒涛の如き忙殺に追われ、精も根も尽き果てた騎士、神官、役人達――特に公僕は疲弊の色を隠せず、泥のように眠る一夜を過ごしていた。
しかし、どれ程に消耗していようとも『例外』は存在する。
「――以上が、これまでに私が掴んだ本件の重要情報です」
つい数時間前には『天の杖』を浮かべた王宮、その玉座の間で国王フェネスト六世は聖騎士団長レオパルより事の顛末の報告を受けていた。
蛇のような情念が絡み合ったこの事件は一筋縄でいかない複雑を秘めていたのは誰もが知る所である。
魔種が徹底的に荒らした民心は、纏わる事情は清廉潔白を旨とするネメシスが認め難いものを多く含む。
「アシュレイ・ヴァークライトの魔種としての活動、その妻エイル・ヴァークライトの月光人形としての動きを確認しています。又、魔種ジルド・C・ロストレインの『呼び声』により、その娘、ジャンヌ・C・ロストレイン――『アマリリス』という呼び名の方が通りが良いかも知れませんが――が反転し、先の決戦で敵勢に回った事も。
加えてシリウス・アークライト――彼の生存と死、同じく反転もです。
御子息――リゲルの話では彼は自身を庇って果てたとの事。
これまでの話は全てルビア殿には伏せておりますが、『コンフィズリーの不正義』と併せて、逃亡したエルベルト・アブレウ一派が一連の引き金となったのは明白。
……頭が痛いばかりですな、正直を言えば」
故に。事件が解決したとしてもこれは終わりではなく――ローレットに関わる数人も、何かの咎を受けねばならない、或いは咎を避ける為にこのネメシスを逃れねばならないというのは大方の予想と言えるだろう。
「『如何なさいますか』陛下」
レオパルにしては酷く珍しく――少し奥歯にモノが挟まったような物言いだった。
レオパルが確認したフェネスト六世の顔には何時も通りの静かなる天義法王の威厳が浮かんでいる。
「レオパル――反転は『悪』であろう」
「はい」
「この混沌に生まれ落ち、悪逆の声に従い。世界を侵す事は紛れも無い罪である。
アシュレイ・ヴァークライトも、ジルド・C・ロストレインも、シリウス・アークライトも。
許されざる罪人なのは間違いない。そこに例外等認めれば、人の世の秩序は成り立たぬ。
それを常に否定してきたからこそ、聖教国は聖教国であり続けた。間違いは無いな?」
「……はい」
レオパルはフェネスト六世の言葉に頷く他は無い。
彼は間違いなく正義の人である。私心を殺し、正義と神の為に国家を運営してきた理想的な法王である。
さりとて、彼の治世は常に厳格だった。私情を、例外を認めず――何時も清廉潔白を求めていた。
人は弱いものだから。人は情を、愛を知るものだから。
『例外』を認めれば、小さな蟻の一穴さえ巨大なダムは決壊しよう。
故に彼はこれまで全ての『例外』を殺してきたのだ。その意味を知らないレオパルでは無い。
「……では、やはり。彼等には『咎』を」
「聖教国が聖教国である為には、致し方ない事だ」
フェネスト六世の言葉は重く、断罪の刃は今日も厳しく振り下ろされた。
されど、今日に限っては――言葉はそれで終わらなかった。
「だがそれは――『聖教国がこれまでと同じく。あくまで聖教国で在り続けねばならぬなら』だ」
「……陛下?」
「コンフィズリーの名誉を回復せよ。ロストレインの不正義をその後継に灌げと命じよ。
それはヴァークライトの娘にしても、アークライトの息子にしても同じ事だ。
聖教国には正義がある。その正義はこの瞬間も些かも曇る事は無い。しかし――」
疲労に塗れた法王は玉座に深く寄りかかり、言った。
「レオパルよ、疲れた民を勇気付けるのだ。
このネメシスを再建――いや、新しく築き上げるのだ。
これはわしの治世を否定する愚かか。
フェネスト六世の名を汚す乱心か。それでも。わしも、今だけは――」
――この先を、新たな未来を見てみたい。
王は笑っていた。酷く珍しく酷く不器用な笑みだった。