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水底の罪・愛の詩

 運命を弄ぶかのように、匂い立つ色香。
 噎せ返るような死の気配を纏わせて、女は深海に沈んでいる。
 前人未到の海域。何かが存在するとも知れぬその奥底で金の髪を揺らした女は伏し目がちに笑う。
「ふふ、うふふ」
 色付く唇が吊り上がる。零れる音色はじっとりと湿った地獄の音楽だ。
「どうかしましたか? リーデル」
「ええ、セイレーン。私、嬉しくて。嬉しくてたまらないのよ。
 大切なものを手に入れてしまったのだもの。
『この子』を倖せにするなら一人ではいけないから……『弟』は連れて帰られてしまったけれど」
 その身を張って私の前に来てくれたから、と魔種リーデル・コールは金の髪を揺らして微笑んだ。
 無数の水泡が立ち上る蒼の中、狂王種がリーデルの許へと擦り寄った。
 その姿はまるで小さな動物が愛を乞うようであり、優しくそっとそれを撫でるリーデルの甘やかな指遣いと共に強烈なまでの違和感を場にもたらしていた。

 ――――♪

 深い海の底だというのに、不思議と音は澄み渡る。
 呪いは周囲に拡散し、澱の水底に薔薇の庭園を形作るのだ。
 デモニアたる彼女にはその昏き海の中は居心地が良い。それは『セイレーン』とて同じだった。
「あの方の領域で、貴女が幸福に恵まれるだなんて。思わず『嫉妬』してしまいそう」
『目の前の魔種(どうほう)』の言葉に思わずリーデルは首を傾げていた。
「幸せ……ああ、そうか。ええ、きっとそうなのね。私、今『しあわせ』なのだわ!」
 遅れて認識した事実にリーデルの顔はいよいよ綻んだ。きっと今は幸福なのだ。生まれてこの方不幸だらけであった女にとって、『大切な物』を手中に収められているこの現状こそが幸福だといえるのだ――そう言われなければ分からないけれど、言われてしまえば簡単な式に過ぎなかった。リーデル・コールはこの上なく幸福なのである!
「羨ましい。妬ましい。でもいいでしょう。他ならぬ貴方だから。
 ええ、ええ。そうです。幸せですよ。だから次はちゃんと『弟』も迎えに行きましょうね」
「ええ、ええ!」
 頷いたリーデルのその顔はまるで少女のようであった。
 無垢な笑みを浮かべた彼女はうっとりと周囲を見回した。
 昏き海の中では何も見る事は出来ず、人知れぬ深き『死の領域』で彼女は『初めての幸福』を噛み締める。
「そうよ、御伽噺では皆、『幸せになりました』で終わるものよね?」
「いいえいいえ、そうではないものもあります。人魚姫ですよ。
 まるで貴女のような不幸で終わる物語です。
 ……泡になって消えることすらできなかったのは私も、貴女も似たようなものですけれど。
 何れにせよ、油断はいけません。『他の誰を押しのけても、自分が幸せにならなければ』」
「くすくす――ええ、いざとなったら、王子様の胸にナイフを突き立ててでも。
 呪詛の歌を響かせて、セイレーン? 私ったら……熱に魘されているように体が熱いの」
 女の瞳は熱を孕んだ。その意味を知っているからか『セイレーン』は笑うだけだ。
 視線を送れば、その鼻先に確かに感じた『絶望の青』の匂いは決して彼女から離れることはないだろう。
「それも良いでしょう。
 ですがね、リーデル。『大本、人魚姫は王子に愛を伝えて居ればよかったのですよ』。
 さあ、リーデル。だから言葉にするのです。貴方が愛したその徴を」
「ええ。そうね――泡になるのもナイフを突き立てるのも真っ平だわ。
 だから――大切なあの人に、あの人に、伝えなくっちゃ!」
 女の体からじわりじわりと死の気配が滲んでいる。
 そして、彼女は口を開いた。愛しい人へのメッセージを、愛の呼び声を深海に響かせて。



※深海より何処かに。絶望の呼び声が響いています……


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