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紅の花

 聖都が平素の姿を失っている事は明らかだった。
 見た事も無い位に世界はざわめき、この戦争に無事に世界を保つ心算が何処までも明らかだった。
(……本当に、酷い有様)
 ルビア・アークライトの元を『使者』が訪ねたのは暫く前の出来事だった。
 使者はかつて夫と共に姿を消した男は、彼の副官を務めた一人の騎士だった。

 ――間もなく聖都には危険が迫りましょう。私は御身を任された者です。万に一つの危険も及ばぬよう。

 来訪は余りにも突然で、言葉は突拍子も無かった。
 だが、随分と暫く振りに彼の顔を見た時、彼の声を聞いた時、彼の言葉を理解した時。
『或いは、ルビアは概ねの真実を理解してしまっていたのかも知れなかった』。

 ――貴方はどうしてここに。

 ――一体、誰に頼まれたのでしょうか。

 ――あの人は、シリウスはこの近くに?

『彼』が聖都を――自身の元を訪れないのだとしたらば、そこには確かな理由があるだろう。
 数える程しか思いつかない理由を、可能性の悉くをルビアが否定出来なかったのは、彼女が強く聡い女性だからである。
 問いに苦渋の表情を浮かべ、言葉を悩む副官にルビアは苦笑いを禁じ得なかった。
 彼はシリウスの生存を否定せず、同時に自身に語る術を持っていなかった。
 どんなに信じたくない事実であったとしても、除外された可能性の末に残るのが真実ならば、それは――

 ――シリウスは、この聖都を脅かそうというのですね――

 それも、自身の前に姿を現す事が出来ないような事情を帯びて。
 答えぬ副官はルビアに再度避難を薦める。しかし彼女はこれに頷かなかった。
 せめてと護衛についた副官は外で何人かの兵を従えアークライト邸を守っている。
 故にこの場所はフォン・ルーベルグの中でもかなり安全な方だというのに。
「本当に、酷い有様」
 怒号が、悲鳴が、混乱の喧騒が耳の奥から離れない。
 聖都は動乱に揺れ、聖騎士団が敗れれば――全ては終わってしまうのだろうと。
 確信めいた予感がある。
(でも……)

 でも、それでも。

 ルビアはこの場所を離れまい。
 かつて夫の愛したこの国と戦場へ赴いた息子を信じて。
 それは信頼であり、感傷であり、最後に少しの意趣返しでもあった。
 再会叶わなかった愛しい人へ向ける、拗ねた彼女の――精一杯の。

 ――シリウス。嗚呼、シリウス。私は怒っているのです。
   たとえどんな事情があったとて、どんな姿であったとて、私の願いはずっと一つだったのに。
   貴方が戻ってきてくれるなら、どんなに危険だって――他に何も要らなかったのに。

 紅の花はその花弁に僅かな露を遊ばせた。
 滲んだ世界に揺蕩ったその呼び声は――きっともう永遠に届かない。

<リゲル・アークライト (p3p004)の関係者ルビア・アークライト>

※ネメシスの運命を左右する決戦が行われています……!


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