平和極まる夏の喧騒はこの世界の一幕だ。
屈託なくバカンスの時間を楽しむ人々の数は多いが、生憎とこの世界はそればかりでは出来ていない。
密やかな悪意は人知れず侵食し、世界の一片を構成する『日常』である。『魔種』なる新種のプレイヤーが大暴れした一方で、未だ解決を見ていない禍々しき火種は何処にでも残されていた。いや、むしろあのローレットが――特異運命座標達が勝ち取ったかけがえのない安寧の時間は故に尊いとさえ言える。
「――命知らずめ。ここがどういう場所だか、俺が誰だか分かっているのだろうな?」
「さて、な。主の名とこの場位は心得ていよう。
わしの酔狂も又然り。しかし、主にそれ程の価値があるかは未だ知らぬわ」
ターバンの盗賊王――『砂蠍』のキング・スコルピオはその細い瞳に一層剣呑な光を宿らせていた。彼を大いに煽り、苛立たせるもう一人の男――派手な着流しを纏った剣客、死牡丹梅泉は相手の殺気にも頓着せず、全く自由な有様だった。
梅泉が砂蠍の幻想内の暫定本拠に訪れる事で始まったこの『会談』は密かに勢力を回復しつつある砂蠍の一派に囲まれてのものとなっている。なればこそキングの言は尤もであり、例え梅泉がどれ程狂気的な技量を持ち合わせていようとも、いざ事を構えればこの場を逃れるのが中々骨である事は間違いのない事実であろう。
「まぁ、主が相手をするというのであれば重畳。
だが、有象無象を向けてくれるな。それは面倒というもの故」
……だが、梅泉は御覧の物言いである。基本的に彼はキング以外を見ていない。
「……チッ、訳の分からん野郎だ。だが、その度胸に免じて質問するぜ。
その答えが気に入れば――そうだな、用件位は聞いてやる」
キング・スコルピオは基本的に冷静で慎重な男である。彼のその気質が、暫く前に起きたラサでの大討伐から一派を辛うじて逃げ延びさせた。腕前は確かで残忍だが、蛮勇を誇る真似はしない。むしろ正体不明の相手に望まば、このように新たな情報を伺いたがるタイプでもある――
「ならば問うがいい、蠍の」
「てめえは、どうやって此処を嗅ぎ付けた?
確かに蠍は幻想内で力を取り戻してる。ここを知る人間もゼロじゃねえ。
だがな、ここに居る連中は謂わば――『新生砂蠍』の中核連中だぜ。
有象無象の盗賊共は従えても、ここは知らねぇ。
つまり、お前がここに居るって事は……」
キングの言葉に周りの盗賊達が青褪めた。一斉に首を振り、自身の潔白を訴える。
成る程、彼は圧倒的に畏怖されている。残酷と狡猾を併せ持つ盗賊王であるが故に。
「物事に絶対は無いという事よ。主がどれだけ慎重に上手くやっても嗅ぎつける犬はいる。
……まぁ、性質の悪いのに目を付けられたとは言えるか。
安心せい、官憲やらローレットやらはここを知らぬ」
「信じるとでも?」
「単なる事実じゃ」
キングは咳払いを一つした。
「成る程、まあいい。次だ。今度はてめえの用件を聞かせろよ。
ま、官憲の知らねぇ話なら――てめえの心算がどうあれ面白い話を聞かせてくれるんだろうがな」
「わしの心算だけを言うなら、主を斬りたいと――こうなるが。
まぁ、仕事は仕事じゃ。わしの今日の用件はつまらん使い走り――伝言役じゃな」
「ほう……?」
「わしには大した意味のある話では無いがな。主にとっては面白い話やも知れぬぞ。
まぁ……性悪同士の話じゃ。折り合うかは知れぬが……主は『復讐』を望むのじゃろ?」
梅泉の言葉にキングはすぐには答えなかった。
相手は正体不明、さりとて、野放しにも出来ぬ。気にならぬと言えば噓となる――
「もう少しだけ、戯言を聞いてやるぜ。聞くだけ、だがな――?」
「それで構わん。わしにはどうでも良い事じゃ。
主がどういう結論を下しても、わしを殺すと言い出そうと」
「――ハ!」
キング・スコルピオは言葉を鼻で笑い飛ばす。
むしろ、そちらが望外じゃ――と語らぬが華は梅泉か。
蠍と凶手の会談はかくて続く。
終わりを匂わせる夏の夜が、周りを僅かに寒からしめる――鬼気を帯び始めた事は間違いなかった。