ゼシュテル鉄帝国とネオフロンティア海洋王国が第三次グレイス・イレ海戦にて戦の黒煙をあげた。これは、その数日前。鉄帝国での出来事である。
帝都自然公園。大きな湖を囲む木々と空。しかしながら、土のならされた歩道は雑草にまみれ広く等間隔に置かれた黄色いベンチはコケとツタと汚れですっかり変色している。
公園の五割ほどはトタンとビニールシートでできたホームレスの共同住処と化し、伸び放題の木々は空をほとんど隠している。
ずっと前の管理者が自然を豊かにだの子供たちの教育がだのと述べて作ったが誰も使わず管理もされず、スラム街の端にめり込むかのようにただ巨大に横たわっていた。
ここはいわば『詭弁のなごり』である。
そんな公園の一角。雨上がりの土道に、ひとつだけの足跡。
足跡の先にあるのは、傾いたベンチ。
ベンチに腰掛け、紙袋から鳩へパン屑をまく女がいた。
白く清らかな僧服の袖から見える黒鋼の手。
彼女の後ろに、黒いレインコートの男が立ち止まった。
「相変わらず弱者に餌をまくのが好きなようだな、『赤き嵐』のアナスタシア」
ピタリと女の……アナスタシアの手が止まる。
「……私をその名で呼ぶな。『目くらまし』のショッケン」
クク、と背後の男は喉を鳴らした。
「意趣返しのつもりか? 私には自虐に聞こえるぞ」
コートの内側。傍目からはわからない程度だが、小さく軍服の襟が、袖からは黒鋼の手が見えていた。
「私は過去の汚れ仕事を受け入れ、この地位まで上り詰めた。今や皇帝から大艦隊を任される将校だ。その点貴様はどうだ? 地位も財産も失い荒れ地で餌をまく毎日だ」
「そんな話をするために呼び出したわけではない」
「だろうな。何年も使われていない秘匿通信ルートだ。よほどのコトなのだろう?」
フードの内側から見下ろすショッケンに、アナスタシアは目を合わせぬまま言った。
「スラムへの攻撃をやめなさい。彼らは人。彼らには尊厳があります。これ以上続けるのなら、皇帝への直訴を行うつもりです」
「無駄だ。皇帝閣下は『暖かい海』をかじるのに夢中でな。こんなゴミためにさく兵員も政治家もない」
「……お前がそう仕向けたんだろう」
「とんでもない。時代の流れだ。ただ、そうだなあ、貴様は昔から政治が下手だったな」
くしゃり、と紙袋が握りつぶされる。
「それに、なんだ。人権? まああるだろうなあ。公園にテントをはるホームレスどもにも、あのひ燃やした村の連中にも」
ショッケンの声のトーンが、わずかに上がった。
口調が早まる。
「『聖女』? 笑わせる。貴様があの日やったことを知ればあの弱者どもはどんな顔をするだろうな」
「――」
ごう、と空気が鳴った。
立ち上がったアナスタシアが人体をへし折らんばかりの手刀をショッケンの首元へと放った音である。
が、その手はショッケンの手によってガチリと受け止められた。
鋼の手がぶつかりこすられ、火花を散らす。
「今でも鮮明に思い出せる。お前が歩けもしない老婆からネックレスを取り上げた腕。泣いてすがる男を蹴って食料庫をあさる様。仕方なかったろうなあ。上官の命令だ。部下の命もかかっている。敵国の村から略奪など、軍人ならばやって当然。特殊部隊ならなおのこと」
目を見開き、笑うショッケン。
目を見開き、にらみつけるアナスタシア。
「話は終わりだ、ブラックハンズの脱落者よ。貴様はせいぜい、この朽ちた公園できれいな詭弁でも述べていろ。私は『ここにあるもの』を手に入れる」
「『ここにあるもの』……? 一体何があると」
「使えないもの、わからないものはないのと同じだ。貴様ら弱者には関係ない。
私もじきに海洋から巨大な戦果をあげて帰ることになる。せいぜい、私にすがって利益を得る方法でも考えるんだな」
アナスタシアの手を振り落とし、歩み去るショッケン。
見下ろすと、湿った土に倒れた紙袋を鳩がつついていた。
……鉄帝首都で何かが動きを見せています