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鉄帝南部・幻想北部国境線

 厳しい気候風土にさらされるゼシュテル鉄帝国にとって、南部に広がる肥沃な領土の獲得は悲願であった。
 逞しく強靭な肉体と精神を有するゼシュテル民は過酷な環境にも負けず、強大な帝国を維持している。されど、彼等が現状で生きていけるかどうかと、凍らない港――国土的な豊かさを求める心は全く別問題である。
 かくて、彼等はその肥沃な大地にあぐらをかく――特にこの数代は腐敗と弱体化の著しい幻想(レガド・イルシオン)との戦争状態を続けている。何時から始まったか覚えている者も少ない戦争は、その時々で激しさを変えながら延々と繰り返される二国間の風物詩とも言える状況となっていた。
 ここ暫く、大きな戦闘が起きなかったのは言うまでもない。
 よりにもよってあの幻想に特異運命座標を束ねるギルド(ローレット)が存在するからだ。
 鉄帝国は神託のあれこれに真剣な国ではないが、彼等がパワーバランスを崩し得る存在である事は理解している。直接的に彼等と争うかどうかを別にしても――例えばあの天義(ネメシス)の動向が変わるだけで状況は劇的に変化すると言えるからだ。
 鉄帝南部、幻想北部の国境線は両国軍が睨み合う事実上の最前線である。
 幻想側は有力貴族の持ち回りだが、鉄帝側は一人の名将が受け持つ絶対領域である。
「……とは言え、だのう」
 顎に手をやりつつ、何とも困ったように声を発したのは黒鉄の巨漢――『塊鬼将』の名を数多の戦場に轟かせる『その』ザーバ・ザンザだった。
「何時までもこまねいておる訳にもゆかぬし、宰相殿は胸が痛かろうしなあ」
「鉄帝国の冬は厳しい、ですからね」
 傍らの副将に「うむ」と頷いたザーバは思案顔であった。
 敵陣容はアーベントロート派を主力にした軍閥らしく、睨み合いは今日も続いている。
 幻想の北部要塞は堅牢で、守備の中核を担うその場所を巡る攻防がこの数年の小競り合いの中心である。
 言ってしまえば国境は今日も『日常通り』といった所なのだが――
「……将軍。例のお話を考えておられるのですか?」
「実際の所、主はどう思うよ?」
「例の使者の話は……何分、寝耳に水の話過ぎて……
 我々の調査でも『砂蠍』なる盗賊が幻想を荒らしているという事実は裏付けが取れておりますが」
 ザーバの視線を受けた副官は少し思案して、その結論を言い淀む。
 鉄帝国らしからぬこの副官はザーバが信をおくだけあって、中々に慎重さも兼ね備えた人物である。
「その盗賊が幻想側にある謎の人物のコントロール下にあると。
 しかもその人物は鉄帝国の有利を図っている、と聞けば。
 十中八九――いえ、九分九厘罠としか考えようがありませんね」
「ま、そうだろうな」
 副官の至極真っ当な結論にザーバは気も無く頷いた。
「この時期に俺達が焦れるのも――此処暫く小競り合いが起きてねえのも計算に入れてるかのような話だ。
 確かに。例の盗賊共が上手いキッカケを作れば、そりゃあ俺達の千載一遇の機会になる。
 宰相殿や国民は『そういう手』を嫌うだろうが、まぁ。元はと言えば俺達の仕掛けじゃねえし――そもそも戦争ってのは敵の弱みを突くもんだ。手加減とフェアは違う。『本当なら至極有効』って事は、『露骨過ぎて罠』って事の裏返しでもある」
「では、やはり罠ですか」
「多分な。しかし」
 自身の言を肯定され、何処か安堵した顔を見せた副官にザーバは続ける。
「本当だったら、どうする」
「……は?」
「露骨過ぎる好機を本気で演出する幻想側の有力者が居たら、どうする。
 それだけの仕掛けを用意しながら何一つ要求してこない――売国奴とも違う何者かが居たらどうする。
 言っただろう。焦れるこっちの気持ちを見透かしたように来やがる、と。
 つまりだな、これを持ちかけた人間は真偽問わず『性格が物凄く悪い』ヤツだろ。
 そんな破綻者なら、逆説的に何をするか分からないってのもあるだろうのう?」
 ザーバは副官に危急の為の臨戦態勢、出撃準備の徹底を命じる。
 見極めるのはこれから。しかし肝心のその時に動けなければ遅きが過ぎる。
 嘘ならばそれで良い。罠ならば踏み潰してみせる、そして好機ならば逃すまい。
「俺に任せておけ」
 ザーバ・ザンザの言は雷の如き絶対である。
「――は! 幻想側に気付かれぬよう、各隊に通達をいたします!」
 幾多の不可能を可能にしてきた彼に、副官は背筋を正して敬礼した。
(……さて、しかし状況は怪奇。嘘にせよ真にせよ、正直を言えば複雑だのう)
 彼とて、鉄帝軍人。正面衝突で敵を打ち破らんとする喜びは痛い程知っている。
 フィッツバルディの黄金騎士やアーベントロートの青薔薇を正面に引っ張り出せるなら、それが一番いい。
 だが、彼は鉄帝国の守護神である。自身の双肩に飢え、凍える子供や国民の望みが掛かると考えれば――

※各地で砂蠍の動きが活発化しています。


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