「お前がモタモタしている内に『常夜』は駆除されてしまったようだが?」
正しさを標榜する領域において『最もそれからかけ離れた者達』がネメシスの夜、闇の中に身を浸している。
「イノリのオーダーに従うというならば、絶好の仕掛け場であったろうに」
意地の悪い調子でそう言ったルスト・シファーの言葉は明確な皮肉である。
そう言う当人に『イノリのオーダーに従う気は全く無く』冷笑癖のある彼は目前の黒衣の女――ベアトリーチェ・ラ・レーテを煽る為だけにそう言っているのは疑う余地も無い。
「そう仰いますけどね。物事には準備が必要です。
第一、『常夜』は十分に役を果たしましたとも。あれだけ派手に暴れれば『比較的、直近の危険の無かったクレール・ドゥ・リュヌ』には最優先の意識は向きにくいというもの。元よりこのネメシスは私と貴方、『強欲』と『傲慢』の冠位による管轄なれば、『怠惰』の彼女等前座のようなものではありませんか」
されど肩を竦めたベアトリーチェの方もそんな事はとうの昔に知っている。
面倒臭い兄妹のやり取りは時に殺意を交わす程の熱を帯びる事はあっても――半ばお約束じみていた。
「フン、『野良』の連中も使いようという事か」
「そういう事です。彼女の動きは『仕掛け場』ではなく『仕込み場』ですわよ」
ルストと頷いたベアトリーチェの言う通り『常夜の呪い』でネメシスを覆った魔種は討ち果たされた。
酷い個人主義者で構成される魔種は『親』であっても完全な統制は難しく、ましてやその親がカロン(きょくどのめんどうくさがり)であれば言うまでもない。従ってこの時期に彼女が場を引っ掻き回したのは元々は二人の計算の内にあらず、さりとてどちらかと言えば強力な魔種であった彼女の活動が役に立ったという評価は妥当な所だった。
「直線的な手段ではあれが精々。
お陰様で十分な準備は出来ましたとも。次はルストのお望みの通り、この私。
この私の『クレール・ドゥ・リュヌ』をご覧あれ、といった所です」
芝居がかったベアトリーチェを薄笑いの半眼で眺めるルスト。自身の司る『傲慢』の通りにそれは何処か彼女をすら軽侮する色を帯びていたが――面倒臭い『兄』のそんな有様にベアトリーチェは構わない。
「ルストは、人間をどう思いますか」
「魔種と変わらんな」
「勿論。魔種とは『最も人間らしい存在』ですとも。では、この『聖都』の事は?」
「まるで呪いだな。先程は魔種と変わらんと言ったが――ここの連中と比べるなら魔種の方が『人間らしい』」
さもありなん、と満足そうにベアトリーチェは頷いた。
「呪いのように染みついた強い抑圧、感情を押し殺すのが美徳とされるこの『聖都』。
だからこそ、中途半端では何事も起きないのですよ。『常夜』が力を尽くしてもそれは一時。
コップの中を幾ら騒がせても、そこに立つ水面は一時の騒乱(なぐさめ)にしかなりませんから」
ベアトリーチェの口角が邪悪な程に持ち上がる。
「故に月光人形は昏く輝く。ヒトの琴線を揺らし、鉄の抑圧さえ振り切るのは」
――常に最も罪深く、最も美しい愛という感情に他ならないのですから――
「ええ、ええ――イノリ様も、きっとそれを望まれる」
赤い唇をペロリと舐めたベアトリーチェはやがて始まる狂騒の舞台を夢想するように仄暗き愛を想うばかり。