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<Refrain Blue IV>

 ぶくぶく、ぶくぶく。
 傷付いた肺の中に汚れた水が入り込む。
 酷い激痛と倦怠感、一秒毎に命が失われていく感覚をその夜、ドレイクは初めて知った。
(そうか――これが死か。死ぬという事か――)
 海賊たる身の上だ。陸の上、ベッドの上で死ねるとは思ってはいなかった。
 殺した分だけ殺されるのは、奪った分だけ奪われるのは道理であり、当然でもあり。
 少なくとも海賊ドレイクはこの結末を含めても――無様な泣き言等言う心算は無かった。
 だが。
 弱りに弱った心を、痛みに傷んだその体から力が抜けない。
 全てを諦念せよと死神は囁くが、彼は海賊ドレイク。髑髏なぞ、旗の上に従えるものに過ぎなかった。
「……っ、ぐ、……はっ……」
 口を開けば残された僅かな酸素が泡に消える。
 辛うじて動いた右手で血塗れた懐をまさぐれば……

 ……あった。

 震える指先が掴んだ黄金の果実は昏い水の中でも格別の輝きを多少たりとも減じていない。
 減じていないのだ。もいだのはもう随分と遠い出来事だったのに。
 枯死の呪いの伝播した左手を即座に斬り落としたのは数か月も前の出来事なのに。それでも全身を蝕む枯死と呪いにボロボロになりながら――『最期の航海』を続けてきたのは、間違いなかった筈なのに。
(丸一つ無ければ効果が無いとは言ってくれるなよ)
 他に術は無く。
 ドレイクは全くのたうつようにその果実に齧りつく。
(これを残して――どんな手を使ってでもエリザベスに――)
 明滅する意識が光の中に飲み込まれた。
 体は賦活され、活力に漲る彼は遠い水面を目指して足掻きに足掻く。
 奇しくも――有り難くも無くそうする事になった『実験台(ドレイク)』は確信した。
『この死』さえ超越する『奇跡』ならば、きっと彼女にも――

 ……そのニュースを吾輩が聞いたのはその翌朝の事だった。
 何とか岸まで辿り着き、市街地へ逃げ込む。街路樹に寄りかかり意識を失って数時間――だと思う。
 吾輩を起こしたのは差し込む朝日の煩さではなく、騒がしき悲嘆にくれる人々の嘆きの声だった。
(馬鹿な。嘘に、間違いに決まっている)
 あのシプリアノは言っていた。
 エリザベスは今日明日の話では無いと。
 ドレイクに嫌味の一つも言いながら、その顔色を窺った奴の言葉に嘘は感じられなかった。
 否、きっとそれは嘘では無かった。
「陛下が、陛下が――」
 嘆きの声が、すすり泣く声が耳障りだ。
 そんな馬鹿げた話があるものか。
 この期に及んで、この期まで及んで。
 全ての辛苦を捻じ伏せ、昨夜の『死』さえ、自業自得すら乗り越えて。
 これから彼女を助けようというのにそんな事があろう筈も無い。
(神が居るならば、そのような者が居るならば――)
 もう一秒も待てなかった。
 吾輩は後先なぞ考えず、王宮に駆け出し――そして聞いた。

 ――!? ドレイク様、御無事だったのですか……!?

 ――陛下は貴方の帰りをお待ちしておりました。
   昨夜、貴方が亡くなられたと知り、陛下の容体は急に……

 ――嗚呼、そんな話が間違いであったなら。このように間違いであったなら、陛下は!

 そんな、馬鹿な話があるものか。

「どうした? ドレイク。調子が悪そうだな」
「気にするな、バルタザール。唯の『船酔い』さ」
 イレギュラーズと一戦交えた夜のブラッド・オーシャン。
 ドレイクは彼には珍しく浴びるように酒を飲んでいた。
「なら、いいが……」
「もう少し心配したまえよ。実は古傷が痛んだのだ」
「古傷ってえと……その腕か?」
 困惑するバルタザールの問いにドレイクはフックの左手をひらひらとやった。
「そいつは何処でやったんだ?」
「昔、自分で斬り落としたのさ。厄介な呪いを受けてしまってね」
「気になる冒険譚だな」
「全くだ。君には聞く権利もある事だし、ね」
「何だい、そりゃあ」
「吾輩と共にこの『絶望の青』を駆った男をクリストロフ・カバニーリェスという。
 いい男だった。そして海賊だが、その名に聞き覚えはあるかね?」
「……聞き覚えも何も……」
「『そう。バルタザール・カバニーリェス。彼は君の高祖父だ』」
 恐らくドレイクが口を滑らせたのは酔いの所為もあっただろう。そして同時に『不可能を可能にする、絶望の青でドレイクより逃れたイレギュラーズ』に在りし日の自分の姿を重ねたからやも知れない。
「高祖父ってアンタ、まさか……」
「幾分か長生きだと言っただろう?」
 人が悪い笑顔を見せたドレイクにバルタザールは絶句した。
 エリザベス・レニ・アイス女王の治世で活躍した海賊提督に『ドレイク』の名が刻まれているのは確かな史実である。
 だが、実にそれは百年以上昔の話ならば伝説はそれを当人とは認じまい。
 ドレイクという名前は独り歩きし、『彼はそれを気取っている』と思われていた。
 ドレイクを信じぬ者は元より――曽祖父と共に名を馳せた彼の伝説の憧れたバルタザールをしてさえも。
「……吾輩が君にしっかりしろというのはそういう事だ。君はもっと出来る。
 少なくともクリストロフはまだまだもっと――そう、もっと出来る最高の海賊だったとも」

 絶望の青の潮風を一人で浴び、吾輩は靡く髪を片手で抑えた。
 失くした左肘の先が今更じくじくじくじくと痛んでいた。
 ありもしないのに。もう何処にも無いのに。枯死の呪いは果実の力で解けたのに。
 こんなにも時間が経って、もう痛い筈すら無いというのに!
(ああ、そうか……)
 もう一度、酒瓶を呷る。
 舌の上を転がる甘やかなラムだけが吾輩の激情を滲ませた。
 強い酩酊で、何もかも分からない位に呑みたくて――その癖、まるで酔えた気もしない。

 じくじく、じくじく。

 呪いは続く。傷みは続く。
「……クリストロフ。吾輩は一体何に復讐すれば良い?
 シプリアノ。この海賊を相手に勝ち逃げとはいい度胸だな?」
 シプリアノはあの後直ぐに自決してしまった。
 殺してやりたいと思った運命は、神なる者は未だに姿を現しはしない。
 だから、全ては空虚だった。
 空虚だったが、吾輩は、間違いなく。迷いなく燃えている。
 その青い焔は尽きぬ事なく何時までも焼け続けていた。
 自身以外の何者にもこの海を征服させる事など赦さない。
 海洋王国の未来はこの海には無い。
 エリザベス・レニ・アイス以外の下す何者の大号令も、この吾輩が赦さない!

 じくじく、じくじく。

 頭上には夜のカーテン。
 月明かりと満天の星。
 吾輩の視界の全てに愛した空と海だけが広がっている。
「……痛いな。痛い。名前を呼んだら、たまには答えたまえよ。我が友人(クリストロフ)――」
 嗚呼、成る程。そう言えばこれは幻肢痛と呼ぶのだっけ――

※ラリーシナリオとラージシナリオが実装されました。ローレットで是非ご確認下さい!


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