もし、俺がざんげと同じように。
もし、俺がざんげと同じように『何一つ変わらない』なら。
きっと空中神殿の時間は何一つ変わらず。平穏と思い出は一つとして歪まない。
絵本の中の出来事のように求める事を知らなかったなら。
どれ位の時間が流れても、何回季節が巡っても。
俺は何時までも幸福(しょうねん)の侭だったのだろう――
望みは望む程に遠ざかる。
それは追いかける程に遠ざかる。
運命の女(ファム・ファタル)は致命的なまでに無自覚で。
余りにも贅沢で、余りにも些細な『願い』は解き方を忘れたパズルだった。
きっと逃げ水のようだった。叶わない魔法のようだった。
どうしても――どれだけ我慢しても、焦りと怒りはどうしたって俺の中に蟠る。
『自覚して身勝手な俺』は、人間の――それもクソガキで、ざんげの世界を許容出来ない。
空中神殿の端から端――たったそれだけの世界で固定化されたあの女を到底尊重何て出来なかった。
……それで諦められる位に、歳を取ってはいなかったのだ。
そして同時に、何も変わらずに居られる程に子供でもなかったのだ。
……最初に顔を合わせてから随分長い時間が経っていた。
ざんげは何一つ変わらず、俺はそれなりに変化した。
神殿で会った回数は覚えてないが、あいつがここを出た事は『一度も無い』。
――ざんげ、今日こそは降りてきて貰うからな――
……顔を見るなりの挨拶がそんな風になったのは一体何時の頃だっただろうか?
「私はここを離れる訳にはいかねーので」
「誰も来ないじゃん。一日位どうって事ないだろ」
「……それでも誰かが来た時、私が居なけりゃ困るでごぜーますよ」
クソ真面目な無表情に似合いもせず気持ちばかり困ったような――罰の悪そうな色を張り付けている。
桜の咲く春に誘った。「オマエも女ならそーゆーの好きだろ?」。
暑い夏の日に誘った。「海って知らないだろ、オマエ」。
葉の色付く秋に誘った。「エウレカっておっさんと知り合ったんだよ。幻想の仮装盛り上がるぜ!」。
雪のちらつく冬に誘った。「シャイネン・ナハトだってさ。オマエも顔出せよ。有り難がられるぜ」。
……ざんげは何時も駄々をこねる俺をかわしていた。
それは、うんざりする程に毎度毎回繰り返されるやり取り。代わり映えもしない挨拶で日常。
来訪と同じ数だけ繰り返された徒労でしか無かった。
「オマエ、一生ここに居る心算なのかよ。
それって最悪だろ。どんな仕事だって休み位ある。
ケチな武器屋のおっさんだって店番を替わる事だってあるんだぜ?」
「『神託屋』は私だけでごぜーますよ」
「分かってるよ。分かってるけど、ああ、もう!」
クソガキはクソガキだからこそ思った事を素直に言えるもんだ。
俺が捕まえたのは『やがて来る混沌(せかい)の終わりを予見する神託の少女様』。
きっと何処かにいらっしゃるカミサマとやらの意を受けて終焉に抗う世界で一番有り難い聖女様だ。
こいつが『こう』なのはきっと世界の為で、顔も知らない誰かの為で、俺の為で……
でも、この頃の俺はきっとそんな事はどうでも良かった。
繰り返しの数を忘れた先。
兎に角、忘れもしない三度目の夏の日に――俺はあの女に言ったのだ。
「一回でいいよ」
「……一回、でごぜーますか」
「ああ。一回でいい。一度聞いてくれたらもう言わねーから」
言葉は半ば本当で半ば嘘だった。
正直な話、俺が一回で満足したかどうかは分からない。
だが、一回でも――頑なな女に『ルール違反』をさせたなら、些細な何かが変わるそんな気がしていた。
「……」
「……………」
見飽きる位に見た、ざんげの無表情。
無表情でも俺には分かる。些細な気配に『揺れた』と思った。
この女を『揺らす』事が出来たのは少しだけ誇らしく、だから僅かに縋ってしまう。
「……」
「……………」
長い沈黙が本当に長かったのかは定かではない。
唯、只管に長く感じる時間の後で、確かざんげはこう言った筈だ。
――ごめんなさい。やっぱり私は――
……致命的な無力感に頭の芯までぶん殴られた。
「――ああ、そうかよ。まぁ、そうだろうな。オマエはオマエだし――
カミサマってのはいい身分だよな。オマエに受付だけさせて何処にも顔を出しもしない。
そんなで居ながら俺みてーな要らねぇ手違い(バグ)なんてやりやがる」
「レオン……」
「何が終わりだよ。何が特異運命座標だよ。
この世界が滅ぶのは何時だよ。明日か? 十年後か? 俺が死んだ後か?
その時が来るまで、ここは――オマエは、ずっとこのままかよ。
ああ、オマエはいいのかも知れねえよ。でも俺は御免だね。
ハッキリ言うぞ。誰か一人に押し付けた『ハッピーエンド』なんて沢山だ。
『オマエだけを縛り付ける神託』なんてこの混沌ごと消えちまえ!」
……ああ、くれぐれも苛めてくれるなよ。頭に血が上ったんだよ。
駆け出した俺をざんげが引き止めたかどうかは覚えていない。
最後まで言わせなかったし、聞かせる気も無かった自分の心算だけは覚えている。
吐き捨てた悪態は、忘れたくても忘れられない棘。我ながら自覚して最悪な思い出。今に到る選択。
(俺はざんげが――なだけなのに)
見慣れた空中神殿の景色が揺れて滲んで鬱陶しかった。
……今よりも低い――涙目のガキの視点から見上げるあの女はきっと何より特別だった。
我ながらの馬鹿野郎だ。まさかこんな風になるなんてクソガキだって考えなかったに違いない。
――俺は、この年。もう空中神殿には行かなかった。
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