空中神殿を訪れる人間は多くは無かった。
何日か、何週間か、何か月か――時に何年かに一度である事も。ふらりとやって来る『稀人』を出迎え、混沌召喚と特異運命座標の意味、混沌肯定――世界のルールを伝える事が私の仕事である。
『生まれた時からそうだし、この先も恐らくは変わらない』。
特異運命座標に選ばれた何人かの『物好き』はしきりに私に話しかけたりしたけれど、私は面白い事を言えるタイプでは無いから、そんな彼等もすぐ顔を見せなくなった。
(……この間、口を開いたのは何時だっただろう?)
ふとした時に過ぎる疑問にすら答えは易々とは返らず。
引き延ばされた時間こそ日常であり、それは当たり前であって別段忌避するようなものですらない。
私の世界は、狭い世界は。一人には広過ぎる空中庭園は昨日も今日も変わらない。
きっと明日も同じ筈――その筈、だったのに。
「オマエ、もっと喋れよ」
「喋れと言われても、その……良く分からねーですし」
「何が好きとか、何がしたいとか。色々あるだろ。
……何なら俺が持ってきてやるから何か言えよ」
……空中神殿を訪れた『特異運命座標では無い唯一』はそうでなくても唯一人の存在だった。
少年――レオン・ドナーツ・バルトロメイという――は、何故か良く私の神殿を訪れた。
何処か顔を紅潮させ、不機嫌そうな――複雑な顔をして、私に文句を言いながら毎日のように顔を見せる。
その言葉の大半は理不尽で、唐突で、私にとっては聞いた事も無いような内容で……それから少し面白い。
「何だかすまねーです」
「あん?」
「……良く、わかんねーのです」
「わかんないって……オマエ、それじゃ駄目だろ。
いいか、俺が教えてやるから。何か見つけろよ。ええと、例えば……」
私がそう応えた時、レオンは何時も怒ったような反応を見せた。
怒ったような顔をしながら、お人よしに下手くそに私に説明をした。
例えば季節に咲く花であるとか。例えば良く冷えたお菓子であるとか。
多分それは彼なりに――女の子の好きそうなものを挙げていたのだと今思う。
……レオンは子供で、私は長くを生きていた。
けれど、私の世界は空中神殿で閉じていて、レオンの世界は混沌全てであるかのようだった。だからなのだろう。私は答えを知らず、レオンは私が困る程に饒舌になるのだった。
「レオンは」
「あん?」
「……どうしてここに来るのです?」
「来ちゃ悪いかよ」とレオンは怒る。
怒りん坊の彼に私は首を振って問うた。
「いいえ。でも、レオンは何時もここは退屈だと言います。
だから……どうして来るでごぜーます?」
「ばっ……か……オマエが辛気臭い顔してるからだよ。
つまんねー場所につまんねー女が一人で居たら、そんなもんもっとつまんねーじゃん?
別に来なくてもいいんだよ。むしろオマエが来い。そっちが降りて来い」
「私は……ここで出迎えるのが仕事でごぜーますから」
「ほらな。だから俺が来てやってるんだ。感謝しろよ!」
そういうものか、と思ったのを覚えている。
レオンは何時も不機嫌で、身勝手で、何時も一生懸命だった。
私は口数が少ないから彼が黙れば静かになった。それを嫌うように何時も喋っていた。
私は彼から色々な話を聞いた。地上の話、大変だった事、冒険への憧れ、本当に色々な話を。
「……でも、用がある訳ではねーのですね」
「しつけーな、オマエ。用が無くちゃ来ちゃいけねーのか?」
「空中神殿はこの場所にアクセス出来る誰を拒む事もしねーです。
……レオンの場合、バグであったとしても。それでも駄目ってルールはねーですから」
「ルールか」と大きく溜息を吐いたレオンは決まって私の頭を小突くのだ。
「オマエ、やっぱムカつく――」
怒ってばかりいる癖に、そんな時は何故か楽しそうに笑っている。
私はレオンが分からなくて、分からなかったけれど、彼が来るのは嫌では無かった。
私は澱だ。
夏が過ぎ、秋になる。秋が過ぎて冬が来る。
季節が巡り、私は変わらない。出会った時より少し背が高くなったレオンが笑う。
「オマエ、変わらなさすぎ。ほら、本持ってきたからこれでも読めよ」
又、夏が来て秋になる。秋が過ぎて冬が来る。
「よーし、あと何センチか。すぐ抜いてやるからな。覚悟しとけよ!」
目線の変わった彼の声が少し低くなっていた。
あどけない顔立ちは変わらなくても、その言葉が変わらなくても。
流れる時と共に少しずつ、少しずつ変化は積み重なっていた。
レオンが顔を出す機会は相変わらず多かったけれど、その頻度は少しずつ、少しずつ減っていく。
私はつまらない女だから。私は彼の言葉に応えられた事は無いから。
――きっと、それは仕方のない事だった。
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