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Dies Irae

 運命の綾は時に複雑怪奇を織り成す事もある。
 静謐なる夜に訪れる不測も『青天の霹靂』と呼ぶべきか。
 満月の夜にベアトリーチェ・ラ・レーテが邂逅したのは実に予想外の人物だった。
 第三幕を目前にした彼女の前に姿を現したのは、先の月光劇場の後に姿を消した『不正義の騎士』。
 余りにもねじくれ曲がった展開にベアトリーチェの口角は思わず持ち上がっていた。
「どうして、こんな場所に到れたのかしら」
 なれば、彼がこの地を踏んだのは幾多の偶然とそれ以上の必然が望んだからに違いない。
 そんな事は分かっている。
「どうして、他ならぬ私を望んだのかしら。天義を守る騎士が、天義に仇為す女を訪ねたりしたのかしら」
 ベアトリーチェ・ラ・レーテ。美しい黒衣の女は、その実、この世界を震撼せしめる最も強力な魔種である。『煉獄篇第五冠強欲』――原種の七の一角を数える彼女にとって、その問いは実に詮無いものだった。
「いけない子ですこと。シリウスの手引きかしら。
 何れにせよ、彼が手を引いた以上は――貴方が望んだからに違いないのでしょうけど」
「隠す事じゃないな。貴女の言う通りだ。
 俺は先の事件の後、天義を出奔し、シリウス――さんを求めた。
 俺の実力じゃ彼を探し当てる事なんて叶うまいが、彼が俺の望みを叶えてくれる公算はあったんでね。
 実際の所、俺が用があったのはシリウスさんや父上にじゃない。貴女の方だ、七罪」
 圧倒的な魔性を目の前にしても騎士――リンツァトルテ・コンフィズリーの口調はしっかりとしていた。
 傍目にすれば武装をした騎士と丸腰の女の組み合わせだが、事実は改めて言うまでも無い。
 ともすれば発狂しそうになるような強いプレッシャーは女から常時放たれている『呼び声ですらない通常営業』に過ぎず、リンツァトルテはと言えば単なる談笑めいた時間にすら魂を削られる心持であった。
「私に用があると――成る程、どんな用件だか伺っても?」
 ベアトリーチェはそんなリンツァトルテに敢えて尋ねる。
 考えて友好的な相手な筈も無いが、それはある種、猫が鼠を甚振るかのような嗜虐性を帯びていた。
 自身が彼如きに害される事等有り得ない――その確信に満ちている。
『兄(ルスト)』ではないが傲慢な結論の上に彼女は言葉を遊ばせているのだ。
「気が向いたら、聞き届けて差し上げなくもなくってよ」
「それは有り難い」
 苦笑したリンツァトルテの首筋を一筋の汗が流れ落ちた。
 蒸し暑い夜だが、感触は冷たく――故に気温が理由でない事は明らかだ。
「貴女は、これから天義を壊すのだろう?」
「ええ、その予定です」
「魂の器を破壊し、全ての抑圧を解き放つ」
「ええ、私は『強欲』なれば」
「――俺も、それに一口乗りたい」
 リンツァトルテの言葉にベアトリーチェは少しだけ驚いた顔をした。
「人間の貴方が、騎士の貴方が。魔種なる女の企てに加担すると?」
「生憎と俺一人じゃ何も出来ない、唯の一兵卒に過ぎないのでね。
 相応の満足は単なる参戦じゃ満たされない――貴女は俺がどういう人間だか知っているのだろう?
 俺は――イェルハルド・フェレス・コンフィズリーの息子だ。あの国に疎まれ、嫌われ、虐げられた、ね。
 復讐を望むのはおかしな話か? 無実の父親を、名誉を剥奪され、侮蔑と嘲笑の中生きてきた俺が。
 それを望むのはおかしいと――貴女は思うか」
「……………」
「怒りの日に鳴る――この復讐は全て遠き鎮魂歌なのさ。
 諸悪の根源がエルベルト・アブレウという一人の男だったとしても、システムの問題だ。
 エルベルトを排除した所で、ネメシスがネメシスである以上――一つだって変わらない。
 歪にねじくれた神の国なんて、無くなってしまえばいい」
 ベアトリーチェの柳眉が動く。切れ長の目はそう言い切った『元』騎士をねめつける。
「貴方は人間の侭、人間の国に反旗を翻そうと仰るのね。
 その実がどうあれ、敵の敵は味方――件の執務官さんは私を味方と思っているふしさえあるのに」
「アブレウはアブレウで片付けるさ。それは全くの別問題だから。
 ああ、俺は反転する心算は無いんだ。『お節介な友人』に止められて時期を逃したのもあるしね、何より。
 俺は俺の怒りをそれ以外の何かに邪魔されたくはない。
 これは俺の『強欲』であって、それ以外のものじゃない。
 ……なあ、七罪。『到底叶わぬような望みを他ならぬ貴女に持ちかける強欲』を。
 他ならぬ貴女は――貴女が、真っ向から否定出来るのか?」
 真っ直ぐに自身を見据えて言ったリンツァトルテとベアトリーチェの視線が絡む。
 数秒の時間はその何倍にも感じられ、緊張感は否が応無く高まった。
 だが、大笑。そう長い時間を置かぬ内にベアトリーチェは高く笑い声を上げ始めていた。
「ひょっとしたら、これもシリウスの入れ知恵かしら。奇妙な程に『私という女』を言い当てて。
 ええ、そうですわ。私は『欲望』が大好き。どんなものも、どれだけ無理なものであろうとも。
 隠せない感情が、生の欲望が、焦がれる復讐心が、その『強欲』が――大好きですのよ。
 ええ、ええ。貴方がそれを望むならば、私はどうしても否定出来ません。
 貴方が国を呑み、壊そうと云うならば――これ程愉快な話は他にないではありませんか!」
 繰り返すが、兄の如き傲慢は絶大なる魔種故の『当然』である。リンツァトルテ如き、彼女にすれば唯の羽虫。しかしその羽虫は彼女の愉悦を満たすだけの『キャスト』であった。
 劇作を気取り、姦しい月光劇場を演出してきた葬送の女にとってこれは確かに福音だった。
「ふふ」
 赤い唇を三日月の形に歪めたベアトリーチェは今一度リンツァトルテを眺め回した。
 先の仕掛けでは父親(イェルハルド)やお節介(シリウス)と出会わせた仕掛けの縁もあるが……
 彼自身は大した力も持たない貧相なる騎士。唯の人間、若造、未熟者――やはり自分の脅威には成り得ない。成る筈が無い。
(ならば、こんなお遊びも良いでしょう)
 魔種ならぬ者は自分達の力を思い違えている事だろう。
 いや、より正しく言うならば『煉獄篇冠位』を『魔種如き』の延長程度に考えているに違いない。
 余りにも愚か、余りにもそれは退屈だ。
 もし仮に彼女が慕うイノリがこの話を聞いたなら「悪い癖だ」と眉を顰めただろう。
 彼女の劇を高見の見物するルストならば「下郎が私に望むな」とこの願いを切り捨てたに違いない。
 だが、彼女はベアトリーチェ。『強欲』のベアトリーチェ・ラ・レーテ。
 愉快な事は見過ごせない。愛も憎しみも、生も死も。
 演出も物語(ドラマ)も十分に、全てを手の内に得ずにはいられない。
「ならば、貴方は貴方の為したいように為せばいい。ええ、私は少なくともそれを止めますまい。
 最高の席で待ち、最高の舞台に登り、やがて本懐を遂げなさい。遂げさせて差し上げましょう。
 その先に何を得るかは――その後考えれば宜しい事!」
『目につく一つとて諦めきれない女』の結論は余りに単純だ。歓喜と愉悦のままに声を昂ぶらせた。
 麗しき貴婦人は月の狂気を一身に浴びて。
 今夜、美しく、気高く、そして何処までも下品にその肢体を遊ばせている。

※アストリア枢機卿の部隊に甚大な被害が発生し続けているようです。
※天義市民からローレットへの評判が、激闘を続けるイレギュラーズを中心として飛躍的に高まっているようです。
※聖都フォン・ルーベルグを中心に、様々な思惑と運命が交差しようとしています……


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