それはきっと此の世の悪夢に違いなかった。
それはきっと目の錯覚と思う他はない――驚天動地の光景に違いなかっただろう。
白煙天を覆い、鉄車の軋音が大地をゆらす。
巨大な生物のごとく頑丈な脚をはやした複雑怪奇な大聖堂が、村を踏み潰して進む様。
それは『信じられない位に冒涜的であり、ゼシュテルそのものを示すかのように暴力的であった』。
その道中にあった哀れな生物は、建物はまるごと内部へ放り込まれ、大量のカッターやアームで分解され、全てこの巨大移動要塞を構成する資材、塗料や糊へと変えられていくばかり。
最初に言ったのは誰だったか。
唯その呼び名は酷くしっくりと来るものだった。
この移動要塞はその様相をさしてこう呼ばれたのである。
――歯車大聖堂(Gear Basilica)
大聖堂が祈りの歌を捧げている。
聖歌を奏でる巨大パイプオルガンが、まるで大勢のシスターが清らかに歌うかのように合成音声をエンドレスリピートしていた。
――主よ、力なきは罪なのですか。主よ、何故この子が吹雪に凍え、飢えて死なねばならなかったのですか。私はこの子に一欠片のパンすら与えられなかった。主よ、この子の死が無駄でなかったと仰るならば、どうかその証を。
掲げられたシンボルには、まるで磔刑に処された聖人のごとくアナスタシアが張り付いていた。
否、『組み込まれていた』と言うべきだろうか。
伸びた無数の管が彼女を縛り、突き刺さった各部より何かを吸い上げていく。
彼女の鼓動にリンクするように、聖堂の複雑怪奇に入り組んだシャンデリアが明滅した。
さながらその地獄のような光景は聖女の慟哭を示す讃美歌の如く。
ロスト・テクノロジーと哀しき魔種の織り成す嘆きと絶望はとめどない血の涙を流しているかのよう――
「――見ての通り、いや、酷い風景だぜ」
モリブデン事件の結末――遂に起動した、『起動してしまった』Gear Basilicaを阻止せんとするイレギュラーズの一団が出会った、或いは出会ってしまった男は目を細めて彼方を眺めていた。
「勿体無ぇ。嫌いじゃねぇよ。ショッケンって野郎も、アナスタシアって姉ちゃんもさ。
……ま、熟成する前に駄目になっちまったのは本当に勿体無いとしか言えねぇが……」
当を得ない言葉は何処か虚しく響き、目の前で最高のディナーを取り上げられた肉食獣を思わせる彼は、うんざりするように頭を振った。
「オマエ達が最近噂の特異運命座標(イレギュラーズ)だろう?」
「……だったらどうした?」
「やっぱりね。実は俺様も『旅人』ってヤツでね。オマエ達には興味があったのさ」
Gear Basilicaの咆哮を遠く聞きながら、今ではない時、ここでは無い場所で。
或いは近しい先か、遠大な彼方か――交わるかも知れない、ひょっとしたら永遠に交差する事は無いかも知れない。そんな不定形の運命は、しかし眩く『強い』運命は、この日幾ばくかだけフライングしたのだ。
――――♪
惨劇なる讃美歌が鼓膜を打つ。
新たな運命が重なる音色をきっと今、イレギュラーズは聞いていた。
それは幕間。それは余禄。
「ふぅん? やっぱり面白ぇ。面白い面してるぜ、オマエ達!」
眩い金色がもたらす、鉄帝国事件の異聞に違いなかった――
――歯車大聖堂がスチールグラードへ向けて進撃を開始しました
――歯車大聖堂から放たれた兵が各地で略奪を始めています