#author("2020-10-31T21:40:25+09:00","","")
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#author("2021-03-21T18:15:11+09:00","","")

**『ザントマン』 [#yf632a0a]

 青天の霹靂、一寸先は闇、禍福は糾える縄の如し。
 如何な平和を謳歌していたとしても、留まりを良しとしてそうあるように努めていたとしても。
 やはり、ささやかな願いが叶い続けるかどうかは運命なる大きな何かの胸先三寸に拠るものなのかも知れない。
『何か』が起きる時は、得てして突然なものだ。
 深緑。『赤犬』と呼ばれしディルクは再びその地を訪れていた。
 ラサの重鎮である彼が、外部に赴く機会はそう多くは無い。そんな彼の要件はただ一点。近頃深緑を騒がせている拉致事件の事であり――かの一件に出向いたイレギュラーズ達から報告に挙がった『黒幕』と思わしき者の名を伝える事だ。悠久の同盟者――深緑を脅かすその名は。
「ザントマン、そう呼ばれる存在が裏にいる……と。
 成る程、その名は深緑でも有名ですよ――ただし、あくまで御伽噺の存在としてですが」
 ディルクからの言を聞いたリュミエ・フル・フォーレはその名を思考内で反芻していた。
 ザントマン。砂の男、を意味するその単語は深緑の中で有名な御伽噺に登場する妖精の名である。

 ――夜の森は危険だよ。さっさと眠ってしまいなさい。
 そうしないと、眠たい砂が降ってきてザントマンに攫われてしまうよ――

 ……自らも身内に語った事のある御伽噺だ。内容はよく知っているとも。
「しかしそれは躾の為の子守歌。実在人物を謳った伝承ではないのです」
「いずれにせよ『そう』名乗る奴がいるのは確かさ。そっちでも怪しい奴はいたんだろ?」
 ええ、まぁ。と目を伏せて紡ぐリュミエ。
 ラサで起こっている事態である以上、ディルクに……というよりもラサの者に深緑内部で調査活動を行わせるのは非常に憚られた。リュミエとしては彼がそのような行いに加担する者だとは思っていないが、立場というのがどうしてもある。
 故に第三者の立場としての意を受けたイレギュラーズに深緑内の調査 を依頼したのだが――
「こちらでは明確にザントマン、と名乗る人物がいた訳ではありませんが……
 そちらの報告にあったのと同様に『砂』を纏う謎の存在がいたのは確かです」
 あわや攫われる寸前だったとか。夢遊病の如く意識なく歩き、出回って。
「……寝てる間に攫われちまうってか。厄介なモンだぜ」
「今の所この情報は一部の者以外に公表していません。『謎の存在による謎の拉致』など……多くの民や子供達の不安を煽るだけですからね。『ザントマン』とやらの正確な正体を掴むまでは、少なくとも」
 だろうな――ディルクはそう呟き、さて今後の展望を見据えなければならなかった。
 真っ当なだけではない彼は一通り悪徳をも嗜み、理解する。『永遠に美しい幻想種』が如何程の商品価値を持つのかは想像するに難くない。ラサがそれに手を染めるかどうかは別にして、垂涎の商売足り得る理屈は理解出来る。
 果たして『ザントマン』とやらの犯行が単純な金銭欲のみを理由にしているかは知れなかったが……
 ひとまず当面はこの『ザントマン』なる人物を追うのが手掛かり、足掛かりになるのは確実だ。同時に、形成している売買ルート潰しも重要だ。拠点潰しに出向いた者達の方で、イグナートやセララが収集した情報によるとまだまだ複数の拠点・活動の記録があったらしい。
 しかしこの点で問題なのが……なぜザントマンはそんなルートを持っているのかと言う事。
 商売のルートと言うのは全く外部の人物が一朝一夕で網を張れる様なモノではない。規模が大きくなるにつれて時間と人脈が必要になるモノだ。そう考えると『ザントマン』とは全く存在の掴めない謎の人物――ではなく。
 元から『ラサ内部に存在している人物』なのではないか、と。

 (……その事態こそが最悪なんだけどな)

 勿論これはあくまで推測だ。違う可能性も存在する。
 しかしもし『そう』であるのなら、もはや言い訳のしようもなくなる。長である自分が関わっていないと証明出来ても、大多数の民は『ラサ』という一括りに対して良い感情を抱く事はないだろう。勿論やれることはやれる限り行うが――万策尽きれば後に残るのは誠意を見せる、と言う手段だけしか残らない。そして、それは謂わば『敗戦処理』に過ぎまい。
 深緑と長らくの同盟関係を結んできたラサとしては彼女等の信頼を失う事は大いなる国益の損失である。何故ならば、ともすれば閉鎖的とも揶揄される深緑はラサにだけは心を開いてきたのだから、色々な意味でその関係は特権的だからである。
「誠意――か」
 ディルクは眼を伏せる。思い返すは、ラサと深緑の結びつきの物語。始原の盟約。
『自身の血脈(ルーツ)も大いに関わるその始まりに、彼は少なからぬ思い入れを持っていた』。 「俺の爺さんの爺さんの、何代前だっけ――折角、結んだ糸を、俺で切る訳にはいかないよなぁ」
「……『彼』との盟約ですか。懐かしいですね――私にとっては昨日の事のようです」
 その昔。今よりも遥かに閉鎖されていた深緑の窓を開いたのは一人の男だった。
 砂の世界から訪れた『彼』は、目の前の美しき幻想種と関わり、まさに深緑に変化を与えたのである。
 遥かな時をリュミエは生きてきた。ともすれば停滞していたともいえる己が心に。
 変化を、教えてくれたのは――
「なぁ」
 ふと。ディルクの声でリュミエの意識は目の前へと戻される。
 赤い髪。鋭い目つき。ああ、全く見れば見る程『似ている』もので。
 リュミエは何とも複雑に『若い頃』の思い出を反駁しない訳にはいかなかった。
「前から一つ聞きたかったんだけどよ」
「……なんでしょう?」
「クラウス・アイン・エッフェンベルグは――大層なイケメンだったりしたのかい?」
 リュミエは唐突な質問に目を丸くする。一体何を聞いているのだ貴方はと。
 なんと答えるか、無視するか。ああどちらであってもなにとなし、面倒に感じたので。

「――鏡でも見れば宜しいかと」

 そっけない態度で突き放した。



※深緑にて『ザントマン』の噂が広がりつつあります。
 幻想種の誘拐事件が多発している様です……


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