#author("2019-12-02T12:35:22+09:00","","") *TOPログ [#u2a0347d] #author("2020-10-31T16:43:36+09:00","","") **大号令発布につきI [#tf63c1af] 「はーいワイズ・ラガー大ジョッキお待ちどうさま!」 客の前に景気よく差し出されたのはなみなみと小麦色のラガーが注がれた木のジョッキである。 「ホントに待ったぜ、ヨナちゃんよぉ。頼むぜ、うぃっく」 「見ての通り、メチャクチャ忙しいの! でも、次ちゃん付け何てした日には、ちょーっと思い知らせちまおうかねぇ!」 海洋の港町にある酒場『毎日週末亭』。 豊富な銘柄のビールを揃え、名物のフィッシュフライに定評がある『中々いい場所』だ。 海の男が、それを待つ女が――或いはその逆が。足繁く通い、時には昼間から酔客になるリッツパークの名物酒場は、今まさに王国中を駆け抜けたトップニュースの話題で持ちきりであり、看板娘である『看板娘』ヨナ・ウェンズデーの言う通りとんでもない盛況に満ちていた。 「ヨナちゃん、酔っちまったよ。膝枕で介抱して頂戴よ」 「よしきた。任せとけ、歯を食いしばれ♪」 ……まぁ、何だ。実際、ヨナ自身が言う通り、豪放磊落な気質に加え『ちゃん』呼ばわりには幾らか薹が立った感のある彼女ではあるのだが。それでも気風の良さと面倒見の良さは抜群で何より美人も間違いない。目当ての客をグイグイと引っ張る店の看板(アイドル)である事は疑う余地も無いという訳である。 (……やれやれ、本当に。しかし、王国大号令か。 随分と久し振りで――ああ、今更疼いちまうじゃないかい) ……そんな彼女が実は『ウィーク海賊団』を率いていたのは何年も前の話である。 悪行を許さず、海の義賊として活躍していた彼女は女だてらに――いや、女と知られる事もない程に――王国の海を股にかけた『海賊』であった。運命の日とも言えるあの日に船と船員の大半を、片目と片足を失ってからはキッパリと陸(おか)に上がり、それなりに穏やかな生を過ごしていたのだが―― 「海洋王国大号令! 絶望の青の征服、即ちそれは未知への探求という事です。 その先に何があるかは分かりませんが、興味が無いと言えば嘘になるかも知れません」 ――『ク・リトル・リトルマーメイド』アリアの言葉こそが、今日という日の意味を示している。 「うんうん、これは乗り遅れる訳にはいかないよ。こんな騒がしいのは初めてだし―― ――ううん、これ以上の大事件何て中々無いよね!」 情報屋……の見習い、チェルシー=コールドストーンが力強く何度も首肯した。 そこそこ良い家柄の娘なのだが、この少女、好奇心が勝ち過ぎるきらいがあるのである。 活発にしてあちこちに首を突っ込みたがるその性格は、ローレットのイレギュラーズと知り合う事でより一層強いものとなった。 (色々な情報を集めて、ローレットの力にならないと!) 海洋王国の一大イベントを前に彼女がそう思うのは必然で…… いや、強い好奇心を示したのは何もチェルシーだけではない。 (ローレット……焔様の耳にも話は届いた頃でしょうか?) 普段はリッツパークから離れ、領海外縁部の島で『遺跡』を守るアリアでさえ、買い出しのついでに小耳に挟めば、友人の顔を思い浮かべ、それ以上の話を知りたくなってここに来たという訳なのだから。 絶望の青、海の征服という大事業の発布が海洋王国民に伝える意味は余りにも大きい。 混沌において最も海洋に親しみ、高い航海技術を持つネオフロンティア海洋王国でさえ、そこに何があるかを理解していない。 もっと言えば母なる海洋自体が謎に満ち、可能性に満ちた不可侵領域であるとさえ呼べるだろう。 海賊であったヨナから全てを奪ったのも海。アリアの部族が人知れず守る『本当(それ)』も海の底にあるとされるのだから。 「何れにせよ良きキッカケになれば良いのですが……」 「それです、それ。外洋征服って口で言えば簡単ですけど…… ……まぁ、この国はどうしたって沸き立ちますよね。殆どそれで食ってるみたいなもんですし」 アリアの言葉に何となく応えたのはタコ串パンを片手にもぐりとやったパスカ・アトラッタである。 スケッチブックを片手に持った彼女のレンズの奥の瞳は全くマイペースに満ちていた。 (でも、彼は喜ぶかも知れませんね) そんな彼女が、ふと思い出したのは何やら最近は外国での冒険にも忙しいらしい知人の顔だった。 君は、と問われれば「あたしはオールより筆(こっち)ですけどね」とやや冷めた調子も見せる彼女だが、実は熱気に満ちた王国首都の様子はまさに大作に相応しいモチーフの誕生だと、冒険心以外の部分で沸いていたりもする。 「ええ、ええ! それでも大いに楽しみなのだわ! 未知なる食材、新たな技術! 『アルタ・マレーア』のメニューが増えるかも知れないのだもの!」 お嬢様然とした口調には似合わないギザギザの歯をガチンとやってカタリーナ・マエストリが声を上げた。 「『アルタ・マレーア』はともかく、うちのフィッシュフライは山盛りだよ」 「待ってたわ。でも、これだけかしら? もっと盛って下さっても構わないのよ!」 「よしきた。いい度胸だ、こんちくしょう!」 海洋の五つ星リストランテ『アルタ・マレーア』のオーナーの娘は外食にも研究にもその為の情報収集にも余念は無く、事の他お気に入りのこの店に顔を出す事もしばしばなのである。大食家にしてやや食い意地の張った彼女はまるでピラニアだ。しかし、同時に彼女が認めずば『アルタ・マレーア』の新メニューは増えないとも言われる位に鋭敏な味覚も持ち合わせている。つまる所、ヨナはヨナで彼女にもっともっとと大盛りを強請られるのは悪い気はしていない。 兎にも角にも。 常連も珍しい顔も船乗りも冒険者も、誰も彼も。今日の『毎日週末亭』はお客を山程に呑み込んでいる。 「そこをちょっと詳しく聞かせて!」 船乗りの一人にチェルシーが絡んでいる。 宙を見つめ眉根を寄せたパスカは頭の中でいい構図を考えているのかも知れない。 「もう少しだけ……リッツパークに居ましょうか」 アリアの買い出しは今回ばかりは少しだけ長いものになり、 「お代わりなのよ!」 景気の良い一声で次を強請るカタリーナはこの後も容赦は無いだろう。 話の主役は決まって一つ、こんな調子で熱気と興奮は酒も肴も進めてくれる。 「……………こりゃ、覚悟が必要だねぇ」 ヨナは嘆息して腕をまくった。 時化も怪物も悪党も彼女を怯ませはしないけれど、今度の嵐は格別だ。 きっと今日はとんでもない繁盛で、きっと今日からはとんでもない日々が始まるのだから! ''※海洋王国首都リッツパークは王国大号令の噂で持ちきりです!''